記憶に残る阪急杯 2006ブルーショットガン

春は出会いと別れの季節。2月最終週は調教師、騎手の引退の時期となる。
誰もが有終の美を飾りたいところだが、そう思い通りにいくものではない。しかし、最終週にして劇的な重賞勝利をあげた騎手がいる。
2006年の阪急杯。ブルーショットガンに騎乗した松永幹夫現調教師である。その思い出話を紹介したい。

 

阪急杯のブルーショットガンはまったくの人気薄。長い間かかってようやくオープンに上がった感じの7歳馬で、前走のシルクロードSでも13着に敗退。人気がないのも納得の成績だった。
松永騎手はこの時点で1398勝で、最終レースのフィールドルージュは計算できるとしても、1400勝には届かないはずだった。

しかし、迎えた阪急杯でドラマが起きる。
「ローエングリンとスナークスズラン、これは大波乱になるのか!? さらにはオレハマッテルゼ!」
「ブルーショットガン!松永幹夫が飛んで来る!松永幹夫が飛んで来る!ミッキー頑張れの声援が飛ぶ!」
「松永幹夫!なんとなんとブルーショットガンです!」

最後の重賞にして人気薄馬でのまさかの勝利。
このレースの馬券は買っていなかったが、まあブルーショットガンを抽出するのは難しかったのではないかと思う。
全成績を振り返るとブルーショットガンは時計のかかる馬場の方が合っている。この阪急杯の後は洋芝の函館スプリントS、キーンランドCでの健闘がある。とはいえムラ駆けタイプで走れるはずの条件でも普通に凡走する。こんな感じだろうか。自力強化に加え、当日の不良馬場、あまり使ってこなかった1400mがうまくマッチしたのかもしれない。
後付けとして人気より走れるくらいの理由はあったのかもしれないが、だとしても突き抜けるまでに至るのは、後から考えても簡単ではなかったように思う。それが豪快な伸び脚で、次走でGⅠ高松宮記念を制するオレハマッテルゼなどを捻じ伏せて勝利。騎手としての最後の重賞で、こうしたことが起きるのだから画になるしドラマがある。
この勝利により松永幹夫騎手は区切りの1400勝を達成して騎手生活を終えることができた。

ブルーショットガンの驚きの勝利だったが、乗っていた側も勝てるとは思っていなかった模様。リップサービスもあったかもしれないが「競馬の神様が降りてきました」のコメントも印象深い。
経験も実績も文句なしで真剣にレースに臨んでいる人でも読めないことが起きるのが競馬。我々ファンが翻弄され続けるのも無理はないというもの。確かに神様にしか結果は分からないし、神様からのプレゼントを思わせるようなブルーショットガンの激走だった。

なお、ブルーショットガンと松永幹夫騎手の劇的勝利の裏で、GⅠ馬コスモサンビームが急性心不全を発症し競走中止。まさに光と影。確かに心を動かされるレースはあるし、この2006阪急杯もその1つとだ思う。しかし、どんな綺麗事を並べようとも、競馬全体としては所詮は残酷な興行にすぎない、という真実をあえて記しておきたい。

最後までお読みいただきどうもありがとうございました。