記憶に残る菊花賞 1999ナリタトップロード

今週末は菊花賞が行われます。クラシック3冠最後の1冠を巡って数々の戦いが繰り広げられてきましたが、その中でも特に印象に残った菊花賞の話を書こうと思います。

取り上げるのは1999年。ナリタトップロードが唯一のGⅠ制覇を果たしたレースになります。

ナリタトップロードは競馬を始めて割と初期の馬だったこともあり印象に残っており、個人的に好きな馬だった。ファンも多かったはずである。この菊花賞では単勝をとったことも覚えている(軽く白状すると、なんで買っとるんやという話だが)。
応援するようになったのは皐月賞3着を経たダービーからだったと思う。
そのダービーでは、皐月賞馬テイエムオペラオーを捕らえたものの外から伸びてきたアドマイヤベガに屈して2着。無名の渡辺薫彦騎手が正攻法で乗ったが、惜しくも栄誉を逃した。

4歳以降の成績からも分かるように、ナリタトップロードはGⅠを勝ち切るのに苦労するタイプで、振り返れば、この頃から既にその雰囲気が出ていたのだと思う。おそらくGⅠ好走級ではあるもののGⅠ勝利級ではないといった格付けだったのではないかと。
連勝を重ねるスターホースもいいが、こういう勝ち切れない馬には判官贔屓が働くというか、また別の魅力を感じるものである。

ダービーで2着に終わったナリタトップロードの秋初戦は京都新聞杯。当時は京都新聞杯が秋開催だったが、ダービーと同じような感じでアドマイヤベガの前に2着。逆転に不安を残すものだった。
そうした経緯もあって迎えた菊花賞では、これまでと同様の作戦では勝てないと考えたのか先行策。最内枠を生かす感じで先行しつつ脚を溜めていたが、直線で前が開くと一気にスパート。テイエムオペラオー、ラスカルスズカが追い上げてきたが時既に遅し。持ち味を発揮して追撃を振り切ったナリタトップロードがついにGⅠ制覇となった。

翌年はテイエムオペラオーが驚異的な成績をあげることになり、なかなか付け入ることはできなかった。それだけに菊花賞を勝っておいてよかったと思う。

 

菊花賞を勝てた一因は渡辺騎手を乗せ続けたことにもあったのではないかと思う。無名だっただけあって、現代なら乗り替わりが行われてもおかしくない気がする。ただ、菊花賞でのロングスパートも、乗り続けていて馬の特徴を身体で知り尽くしていたことで敢行できた部分もあったのではないかと思っている。
乗り替わり全般を否定しているわけでもないし、人馬の絆が云々という話をするつもりもない。乗り替わりの是非はケースバイケースで、結果論で語ることになってしまうところも多い。しかし、馬を手の内に入れて正攻法で乗れている場合は、安易に替えるのはどうかという気もする。

この件で思い出すのがベッラレイアの秋華賞。種牡馬としては成功できなかったナリタトップロードの産駒の中で唯一の大物ともいえる馬がこのベッラレイアである。
オークス2着時の負け方が、あのダービーの日のナリタトップロードを思い出させる馬で、生き写しのように感じたものだが、秋シーズンでは、オークスでしっかり乗れていた秋山真一郎騎手が降板。結果もナリタトップロードとは対照的なものとなった。秋華賞では、正直誰がどう乗ってもダイワスカーレットに勝つのは難しかったように思うが、後方待機から脚を余す乗り方は納得感のないものだった。
秋山騎手のまま望む結果が出ていたらドラマ的によかったが、そうはうまくいかないようである。

渡辺騎手に関しては、結局、ナリタトップロードだけの騎手で終わってしまった感はあるが、あの菊花賞においては馬の持ち味を引き出すことで勝利に貢献できていたと思う。

古馬になってからは再びGⅠを勝つことは叶わなかったが、それでも息の長い活躍をし、下の世代に対する1つの壁として存在感を放っていたように思う。その中で引退レースの有馬記念でのファン投票1位など、名脇役という以上の存在感があった。ナリタトップロードがこれだけの存在感を示し続けられたのも、今なお記憶に残るのも、菊花賞で主役を射止めたことがベースにあるのではないかとも感じる。

今年の菊花賞はどんなレースになるでしょうか。可能であれば別途レース展望系の記事を書きたいと思いますが、こうして振り返ると、やっぱりあの頃の方が純粋に競馬が楽しかった。そんな気がします。

*記憶に残るレースとして、他にも記事を書いていますので、よかったら覗いてみてください。


最後までお読みいただきどうもありがとうございました。