お世話になった方の退職

お世話になった方の退職挨拶がありました。
定年後再雇用で嘱託として勤められていたのですが、第2定年まで1年残しての退職となりました。誠実丁寧な仕事をされる人で、部門は違うのですがサポート的に随所に助けてもらっていました。
関わり始めたのは第1定年を迎える少し前からで5年くらい前。その人のキャリアを考えれば長いうちに入らないけどお世話になりました。

後任を作った上での退職ですが、これまでトラブルがある度に、痒いところに手の届く対応をしてくれていたので、今後問題なく運用していけるか不安だらけ。
でも、「やらざるを得なくなったら、そうなったなりに皆でなんとかしていくものだから大丈夫。私もそうしてきたから。」みたいなことを言われており、まあそういうものかもしれない、と思うことにすればよいだろうか。

 

きっとその通りなのだろうが、この話で何を感じたかというと、所詮組織なんて代わりがいてしまうんだよな、ということ。

言葉は悪いが無能な人間の代わりはいると思う。量の面での価値はありえても質の面での価値は低いかもしれない。もっとも個人的にも無能側の人間。何故か直属でもない管理職に、そういう趣旨のことを言われた経験がある。
しかし、文句なしに有能であっても、その点は本質的に同じなんだよな、ということ。確かに抜けた穴を埋められなければ組織として脆弱すぎるが、他方でなんとなく虚しさを感じたのであった。

だからというわけでもないが、組織に身を捧げるなんて人生がもったいないと、あらためて思ったりする。
本当に大切にするべきものは何なんだろうと、ぐるぐる考えている。
自分の代わりに任せれば済む場所ではなくて、自分だから生み出せること、助けになることを見つけられたらいいが、当然の如く答は見つからない。

その方は今後は子ども会などの地域活動を中心にボランティア的な活動をされるとのこと。
自分を生かせることをしたい、といったことも退職挨拶の中で言われていた。
何かを見つけたのかもしれない。充実した日々を過ごされることを願っています。

さて、辞めるにはまだまだ貯蓄が足りないので、明日も明後日も余人をもって代えられる仕事をする。強い不満はないけど、どこかで悶々とした想いを抱えながら。
人の役に立つようなことがしたい、とはあえて言わない。
だけど、なんというか魂が喜ぶようなことをしたい。そんなことを思ったのでした。

最後までお読みいただきどうもありがとうございました。