ゴールデンウィークの最終日にふと思い立って、とあるアプリに登録してみた。
ちょっとした社会不適合者で、自分1人の時間がとにかく大事。そして家庭の温かさを知らない人間。心の中で亀仙人的なことを想像するくらいはあっても、かねてから結婚願望はない。自分みたいなのはしない方がいいくらいに思っている。
他方で、するのが普通といった洗脳を浴びてきた世代でもある。若い人間が結婚していっても素直に祝福できるが、自分以上にしなさそうな人間がしたときだけは正直動揺があった。洗脳の効果が及んでいるのかもしれないが、願望ゼロとまでは断言できないのが本音。
高齢になってコンビを組むのもさほど珍しくない現代だが、従来モデルの範囲に辛うじて収まるには年齢的に残り時間が少ないという立場。
そこで、アプリに登録してみて、やはりしたいとまったく思わない、ホントにそうか?ということを確認してみることにした。
無料で顔写真なしでも登録することができて、さらに地域、年齢などのプロフィールで検索することで、登録されている異性を閲覧することができる。ここまで確認できたところ。
ちょっと理解が怪しいが、気になった相手に申込みをしてコミュニケーションをとろうとすると、お金がかかる模様。マッチングを成立させるにはこちらも顔写真を公開しないといけなくなるのだろう。
検索結果を眺めたところ、心の中の亀仙人が鼻血を出して喜ぶようなことは起きなかったが、まずは顔写真の印象が閾値以上の登録者のプロフィールを順次開いて読んでみる。
がここで問題発生。
結構な割合でギャンブルをする人間を嫌うような記載がある。わざわざプロフィール欄にお断りと書いてあったり、そういった趣旨のタグ(?)が付いていたり。
本ブログを読者登録してくださっている方は当然ご存知のはずだが、私は常習的に馬券を買っている。そういう人間は受け入れられないようである。
もっとも、よく考えてみたら、こうした事象には既視感がある。
昔からギャンブルの件で悪く言われてきたし、やっていることを知った相手の顔が引きつったことも1度や2度ではない。最近は他人とプライベートな会話をすることがめっきり減っていて忘れていただけで、本質的にはこうした偏見を向けられることに慣れている。
ブログを運営していても、競馬の記事を避けるように、他の記事にはてなスターを置いていくユーザーの方を何人か見ている。
確かに婚活市場どころか一般社会で、こんな馬券オヤジがモテたら、なかなかクレイジーな世界観である。過去には偏見の過ぎる見方をする人もいて、事実無根の陰口を言われたこともあるが、ギャンブルをする人間に偏見が向けられる状況の方が世の中全体として健全だと思わないか?これはこれであるべき状態なのだろうと思う。
自分自身は長年馬券を買っていて、ブログ記事まで作成するくらいだが、別に私は競馬を素晴らしいなどとは思っていない。好きだからやっているだけ。そして、こんな方法でしか憂さを晴らしたり自己効力感を得たりできないほど愚かだからやっているだけ。
この事業のくだらなさや下品さ、残酷さも知っているし、病気や不幸を生み出している罪深さも知っている。
自分にとって必要であることと、世の中全体を俯瞰して繁栄した方がよい事業なのかは別物として考えるべきだと思っている。
とりあえず、自分がこの市場で思う以上に敬遠される存在だと認識した次第である。
これで終了でもよかったが、ではギャンブルをする人間がマッチングを成立させた事例は存在しないのか?
ということで興味本位で少し調べてみた。
まあ基本的にはやはり嫌われているようで、そんな男性はやめておけという内容が多数なわけだが、一応2種類のアプローチの存在が確認できた。
1つは、競馬というギャンブルが好きなのではなく、馬が好きという伝え方をすればよいというもの。
しかし、きっとその記事は競馬と無縁な人が書いたのだろう。
個人的にもこの方便を使った経験はあり、ブーメランになってしまう部分があるのだが、競馬ファンに馬を好きなどと言う権利は本当はないのである。もちろん私も含めて。あるとしたら特定の1頭が好きとかそういう話。
全体が好きならこんな事業にお金を流すことはできないはずで、極端な人間だと廃止を叫んだりするのだろう。
もし目の前の人間がその言葉を発することがあったら、競馬の負の側面を伝えた上で、辞めるようにお願いしてみたらいい。牧場見学などの代替手段を提案してみてもいいだろう。それでも聞く耳をもたない人間は、嘘つきであり要するにギャンブルがしたいだけである。これは今から相方を見つけようと考えている人に対して、私からできるアドバイスである。
確かに隠れ蓑にするには都合のいい言葉で、相手を誤魔化すことは案外できてしまうかもしれないが、仮にも相方候補に対していきなり不誠実なことはしたくない。その程度のまともさは残しているつもり。この方法は個人的には却下となる。
もう1つは、アプリからは離れてしまうが、馬コンなるものがあるらしい。競馬好き同士が巡り合って一緒に馬券を買って楽しみましょう、といった企画である。
確かにこれならギャンブル癖を理由に排除される可能性は低いかもしれないが、個人的には誰かと一緒に馬券を買って楽しむという感覚が理解できない。余程すごいノウハウがあって教えを請いたくなるなら話は変わってくるが、こちらが考えているときにしょうもないことをゴチャゴチャ言う人間がいたら喧嘩になるおそれがある。
まあその日は馬券のことは考えないと割り切って過ごせばよいのかもしれないが、そもそもギャンブルが好きな女性って何?という話。ギャンブルはおっさんのものだろう。
ということを書くと、公営ギャンブルは今やおっさんだけのものではなくなった、というわけの分からない指摘をしてくる人間がいると思うし、JRAがこれまでの恩を蔑ろにして我々古参の馬券オヤジを駆除したがっていることにも気付いている。
しかし、ギャンブルをする人間はおっさんである。そう、たとえ未成年であろうと、たとえ小さな一物さえ持ちあわせていなかろうと、公営ギャンブルなんかに勤しんでいる時点で、そいつはもう小汚いおっさんなのである。
何が悲しくて女装した小汚いおっさんとコンビを組まなあかんねん、という話になる。変に外見が仕上がっていたら余計にホラーで、変身が解けてウーロンが現れるだろうか。心の中の亀仙人がびっくりして心臓止まるで。
多様性の時代よろしく、いろんな人間がいるのかもしれないが、個人的な異性の好みをしいてあげれば、穏やかで保守的な女性らしいタイプ。真逆の者が寄ってきたら電子ジャーに封じ込めたくなるだろう。
そして、もう少し真面目な話を加えると、夫婦がともにギャンブルに関心があるようでは、子どもがいた場合にどうなるかという問題もある。
片方にギャンブル癖があったとして、相方がその不満や陰口を言っているくらいが、バランス的に辛うじて健全なラインの家庭なのではないかと思うがどうだろう?
それともカジノ誘致に備えて、一家をあげてギャンブルの素養を育んだ方がよいとでも?だったらいよいよこの国もまずい状況だと思う。
個人的に気持ち悪い連中を寄せ付ける企画と感じるだけでなく、別の目線から見ても有害な企画と感じる。こんな企画を考えた人間は国をダメにしたいのか?と思ったが、悲しいかな、そんな権力者もいそうな昨今である。
以上が考えたこと。
もともと結婚願望はないが、そもそもまともな異性とは縁を作るのが無理そうで、願望の有無以前の雰囲気であることが確認できた。
というだけの話なのだが、所々脱線して当たり障りのある内容になってしまった感。我ながら低俗なくせに堅物だと感じるところ。
最後までお読みいただきどうもありがとうございました。