記憶に残るジャパンカップダート 2001クロフネ

今週末はチャンピオンズカップが行われます。チャンピオンズカップという名称となって久しいですが前身はジャパンカップダートというレース。条件も初期は東京2100mで開催されていました。そんなジャパンカップダートの中で最も印象に残ったレースの振り返りをしたい。

取り上げるのはクロフネの制した2001年。ジャパンカップダート創設2年目のレースである。
クロフネはダート出走は2戦のみながらすごい印象度だった。ダート史上最強馬候補にあげられると思う。

初ダートだった武蔵野Sのパフォーマンスがとにかく圧巻で芝並みの時計を出して9馬身差の圧勝。GⅠでどういったレースを見せるかという楽しみをもってジャパンカップダートを迎えた。
序盤こそ後方にいたクロフネだが、もったまま進出。他馬とは次元の違う手応えで早々と4角先頭。直線では千切る千切る。2着に7馬身もの差をつけるまたまた圧勝で、カメラが引かないと2着争いが映らないというものであった。芝のNHKマイルCに続き、ダートでもGⅠ制覇となったわけだが、印象度が段違いなのは言うまでもない。
このとき記録した2.05.9の勝ち時計は東京2100mで開催された7回のジャパンカップダートの中でもちろん最速で、この距離でありながらラップが大きく落ちる区間がないという内容でもあった。

 

驚異のパフォーマンスを発揮したクロフネだが、当初はダート路線を目指していたわけではなかった。その年の秋は前年から外国産馬にも開放された天皇賞秋に出走するつもりだった。しかし直前になってアグネスデジタルが出走を表明したため、外国産馬の頭数制限によりクロフネが弾き出される形になってしまい、ダートの武蔵野Sに回ったという経緯がある。
その武蔵野Sで開眼し、ジャパンカップダート制覇につながっていくのだから、運命の歯車が変わるというか何が幸いするか分からない。余談だがアグネスデジタルも天皇賞秋にて大外一気を決めて勝利。当初はクロフネの邪魔をする格好となっていたがお互いに満足な結果となった。「これならば納得でしょうクロフネ陣営も」というわけ。

残念ながらこのジャパンカップダートを最後にクロフネは屈腱炎により引退となってしまったが、それだけにダートでのレースを観る機会ができてよかったと思う。

引退後は種牡馬入り。基本的にはダート種牡馬だが大物は芝馬が多い印象。テイエムジンソクなどがダートで活躍したが、芝の短距離、マイルでの大物が目立つ。クラシックには縁がなく、何故か牝馬の活躍が多いといった傾向がある。
初期産駒のフサイチリシャールが初ダートで人気を集めたこともあったし、近年ではソダシがフェブラリーSで頑張っていた。芝だけでなくダートもこなせる産駒だが、ダート替わりでクロフネの再現というわけにはいかなかった。自身の産駒からもクロフネのような異次元のダート適性をもった馬は出ていない模様で、このような馬はなかなか現れないと感じる。

東京開催だったジャパンカップダートは2008年には阪神開催へと変更され、今はチャンピオンズカップとしてリニューアルされ中京開催となっている。趣旨も含めレース自体は当時の面影が薄いが、ダートGⅠでクロフネの見せた圧巻のパフォーマンスは今なお記憶に残るものではないだろうか。

最後までお読みいただきどうもありがとうございました。