『娘がいじめをしていました』という漫画を読みました。
ネットでたまたま見かけて読んでいたのですが、途中までしか読めず、続きが気になっていました。書店に寄ったときに見かけたので、なんとなく買ってしまいました。
斬新に思ったのは、いじめの加害者、被害者の親の視点で終始描かれていて、真実が分からないままとなっていたこと。そのへんはリアル。
また、バキバキにやばい大人も登場しない。常識にかかる家庭で、それぞれが葛藤を抱えながら飲み込まれていくというストーリー。
一般的に子どもがいじめられることを心配することはあっても、いじめることを心配する親は少ない。被害者になったときの対応さえも正解は不明だが、加害者になったときに子どもとどう向き合うべきか考えさせられる作品かも、と思いました。
と子どもどころか相方もいない人間が言ってみる。
作品の中ではあえて解決策は示されていない模様。そのあたりは読む人によってはモヤモヤするかもしれません。
とはいえ確かにハッピーエンドになるような解決策なんかあるんかね、という話。
被害者の救済が第一なのは当然として、個人的には加害者の内面に目を向けることも必要なのではないかと思う。
加害者に優しくしよう、という話ではない。
本作の舞台となった小学校高学年くらいなら、いじめはしてはいけないこと、ということなんか分かっているはずで、だから教員など大人の目の届かないところで行われる。見えるところで堂々と行われるとしたら、教員自身がいじめっ子という場合か。残念ながら大人にもいじめっ子はいる。
してはいけないと分かりながらするのは、加害者が何らかの問題を抱えていて、それをいじめという手段で解決しようとしているのではないだろうか。
なので、抱えている問題を把握して解消することが、次の被害者を作らない方法なのではないかと思ったりする。
どうやって把握するか、把握できたとして解消できるか、そんなことは分かるはずがない。関係ないから無責任なことが言える側面もある。
ただ、加害者に寄り添おうという姿勢は、被害者側を怒らせたり苦しめたりする。
本作だとクラス担任がそういうところがある。
それぞれの子どもに寄り添うとしても、その役割をするのは誰なのか、という問題もあるかもしれない。
親が必ずしも適切な対応ができるわけではない。本作でも、ときに自身の過去の記憶に、ときに第三者に翻弄されながら、子どもに向き合うことを見失っていく描写がある。自分の子どもだからこそ様々な感情が渦巻く。
ネタバレになってしまうので、詳細は控えるが、ネットに載っていない後半は標的の転換や生贄探しのような場面、それからSNSの影響力という現代ならではの問題も。
ストーリーは引き込まれるものがあり、スラスラ読めてしまうが、あまり後味のいい終わり方ではなかった。まあ不登校者が出た時点でバッドエンドしかないか。
いじめの問題は何十年もやっていて毎年犠牲者が出ている。
心を病むような学校なら行かない方がいい。同時にもし人間的に悪くなる原因になるなら教育機関として機能していないよな。
ホリエモンみたいな学校不要論が丸々妥当なのかは分からないが、通うことで得るものばかりでなく失うものがある場合だってある。そんなことも感じました。
ライフスタイル的に関係のない人間でもいろいろ考えさせられるところがありました。
子どものいる方にオススメ、といえるかは分かりませんが、読み応えのある作品だったと思います。
最後までお読みいただきどうもありがとうございました。