未来の自分の足を引っ張らないように生きたい。

最近ニュースになっているEXIT兼近が例の広域強盗事件の容疑者と過去に関わっていたという話に関連して、思うところを書いてみたい。

本人の言い分通りであれば今はもう関わりがないとのこと。現在何かをしたわけでもなく、過去に関わった人間がどんな人間であれ、あらためて法的な問題が生じることはない。
ただし、今回のことが知れ渡ることにより、周囲がどう判断して仕事を依頼するかは別の話。負の印象が生じてもなおビジネス的な需要があれば問題ないはずだが、既にキャンセルになった仕事もあるようで、今後の展開は不明もノーダメージというのは難しいかもしれない。

一般的な考え方として、過去に悪事を働いても、更生して再スタートできる社会である必要がある。
しかし、仮に更生できても、完全になかったことにするのは難しいのではないかと感じるところもある。過去にやってしまった悪事が現在の足を引っ張る、すなわち現在に不幸が持ち込まれてしまうのではないかと思う。

今回のように対外的に知られるところになれば、自身にマイナスに働くのとともに、周囲の人間に迷惑をかけてしまう。それは相方だったり家族だったりすると思う。彼の子どもをもたないという考えも、そのあたりからきていると感じる。
他方でたとえ対外的に知られなくても、特に被害者がいるような場合、自分自身が後悔に苦しむことになる。皮肉にも更生すればするほど深いものになるはずである。

実は個人的にも、夜寝る前なんかに、子供の頃や若い頃の悪事というか自分が他人にしてしまった言動を唐突に思い出して嫌な気分になることがよくある。コロナ禍になってから増えた。この事件が気になる理由である。ちなみに凄惨な事件に関わったこともなければ所謂いじめっ子だったわけでもない。念のため。

悪事の種類としては大きく分けて2つあったと思う。

1つ目は想像力の欠如によるもの。
ウケると思ってした発言で相手を傷つけてしまったこと。一時の感情で乱暴を働いてしまったこと。軽い気持ちで度の過ぎた悪戯をしてしまったこと。どういう結果になりうるか想像する力が足りていなかった。
それも1つの学びといえるのかもしれないが、被害者が出ている以上は罪悪感が残る。また、不健全な環境にいると、基準のようなものが適切に構築されないように思う。

2つ目は自分の心や立場を守るために不適切な方法で解決を図ったこと。
よくないと分かっていても、そうせざるを得ない理由があったというのが厄介なところ。その理由を思い出すと、元々は被害者の側面があり、正当な方法で解決できない問題を抱えていたりする。じゃあその被害者になった理由は~と考えていくと、芋づる式に罪悪感と苦しさが次々思い出されてきて、そもそも生まれてきたときから全部間違っていたのではないかと、如何ともしがたい気持ちになったりする。闇深い。
ただ、自分や誰かを守るために悪くならざるを得ないという事象は、大人になった今でも直面する。知恵がついている分、そう簡単に追い詰められたと感じることはないが、苦しい状況において、いい人間であり続けることはやはり難しい。

過去と現在はつながっている。同様に現在は未来につながっている。
過去のことをウジウジ思ってしまう現状を鑑みれば、未来の自分の足を引っ張らないように現在を生きたいと思う。
とはいえ、自分の弱さは自分が一番よく知っている。判断を誤らせるような苦しい状況に陥らないように逃げ惑うことくらいしか対応策が思い浮かばないのが実情である。